1月ボロ市出店します


ここ数年お休みしてきましたボロ市ですが、今年からまた出店を再開します。毎年約10万人の人出となる歴史あるボロ市。12月15,16日と、1月15,16日と開催されます。今回は現地で雑貨やマフラー、刺繍入りのラム革のバッグや小物入れ、フェアトレード品など、たくさんのネパール雑貨を仕入れてきました。このほか、余り毛糸を使った手編みの暖かい帽子や靴下、ハンドウォーマーなど、魅力的な商品がいっぱいです!売上金は全額ネパールの子供達の夢を叶える支援金になります。最寄駅は世田谷線上町駅。お店は第二会場の、文房具屋、勉強堂さんの前(店番号は374)です。ネパールの国旗が目印です。可愛い商品は、早いもの勝ち?!

手編みの暖かい靴下

現地でセレクトしてきました

今年のネパール訪問

こんにちは!
日本は寒くなってきました。

今年の風邪は咳と高熱が出て治りが悪いという噂を耳にしましたが、暖かいものを食べて、元気に動きながら乗り切りたいですね。

さて昨年に引き続き、ネパール企画、実行してきます。今年は5人で少数精鋭メンバーになりますが、フルカルカも訪問してきます。
フルカルカでは、サティの奨学金による2人の学生さんに、話を聞いてこようと思います。私は英語が苦手なのですが、今回は若手の英語が得意な男性お2人に通訳をお願いしようとおもっています。そして、今回もあのジープで行きと帰りの凸凹珍道中を楽しんできます(笑)

先週末は、日本の美しいヒマラヤを眺めてきました。片道1時間ほどの軽いトレッキングで飯盛山へ。富士山と甲斐駒ヶ岳含む南アルプスです。日本の山も綺麗ですね。

2016年 ネパール訪問ビデオ

こんにちは。
ブログ担当のmayukoです。

2016年11月17日から23日のネパール訪問の際のビデオを作りました。
是非ご覧くださいませ。

Sathi ブログ再開します

みなさま、新年あけましておめでとうございます。
サティ(ブログ担当その壱)のMayukoです。

昨年の11月17日〜23日まで、
ネパールを再訪問してから、
なかなかブログを再開するきっかけがつかめませんでしたが
年末年始の忙しさを乗り越え、
(私は田舎の古〜いお家の長男の嫁なので
年末年始は超忙しいんです^^;)
新年を迎え、やっと年賀状も書き終え、、

ここに来てようやくブログを発信してゆける
心のHD容量が少しだけUPしました。

さて、一昨年の12月から更新が滞っていましたが、
あれから、いろんなことがありました!

これから細く長く、サティについて、
ネパールについてお知らせしてまいりたいと思っておりますので
応援、よろしくお願い致します!

震災7ヵ月レポート

(2015.11.27のPhulkhalka EQ Support記事より)

1127_1学校再建プロジェクトで村に行っていた我々のチームメンバーが戻ってきた。このプロジェクトはスタートしているが、ほとんどの作業が手作業であることと、燃料の供給が不足がちで輸送に悪影響を及ぼしているため遅れているが、少しずつ軌道に乗ってくるだろう。
ここで4月26日の大震災以降の村の生活の変化について見てきたこと、感じたことを以下に記しておく。

『亡くなられた方、村を去っていった方々もいるが、多くは村に残り家を再建中。しかし状況はより複雑になりつつある。高齢の村人は人生のほとんどを過ごした愛する家や場所を離れたがらない。しかし彼らが長い間守ってきた先祖の思い出の品々はほとんど失われ、残っているのは思い出だけ。一方、若い人たちはより良い医療、教育の質、また就業機会の高い都市への移住することに以前よりも関心が深まっている。残念な事に村には住む人のいない空き家を多く見かける』

『6歳以上の子供たちも、自給自足の農家の作業を手伝うために学校に行きたくても、家の仕事を優先せざるをえないことが多い。学校の教師たちは子供たちが家の仕事を手伝ってもどれだけの助けになるのか疑問だと言っている。学校教育もより集約して行うことが必要だが、住居地がバラバラな山岳地帯の現状では難しい』

1127_8『村の生活を維持し発展させていくには、より優れた商業的農業の導入を図らねばならない。現在のような自給自足型の農業生産では穀類、野菜、家畜がそれぞれに適地生産の管理ができず、生産高をあげることが難しい。我々のような丘陵地帯での農業生産では若い世代の拡大していく需要を満たすことができない。残念な事に我々の政治家たちは、単に短期的な視点で票の獲得を目的とした政策しかやってこなかった。多くのプロジェクトは結果がゼロにもかかわらず、資金がつぎ込まれている。多くの内外のNGOにも同じことが言える。この国にとって喫緊の課題は安定した共同社会と質の高い生産手段だ。居住区の設定とそれぞれの社会的交流を促す仕組み作りは高い必要性があると思う。例えば、バイクの利用しやすい道路の整備とバイクを利用する若者たちの消費市場に対する夢は、たくさんの小さな村を作る必要性がなくなる。これは長期的には家族の分散、教育(学校)の利便性、医療関連ポストの統一、市場との容易な連携、等あらゆる面で現在よりも無駄の少ない、可能性の大きな社会に繋がるのではないだろうか』

ジョティアディカリ チームリーダー

記事原文:Phulkhalka EQ Support Fund(2015年11月27日)

フルカルカ 学校再建築スタート

(2015.12.9のPhulkhalka EQ Support 記事より)

mh1フルカルカ村の学校再建築がいよいよスタートした。ここマンダリハイスクールは、ダーディン群北部のなかでも60年ほどの歴史があり、ネパールの中でも数少ない農業技術専門の学校のひとつでもある。
総学生数は700人。そのうち技術クラスの学生は4クラスほどあり、192人の学生が農業の専門的な技術を学んでいる。この他初等クラスがあるほか、特別支援学級も2クラス設置されており、教師は24人在籍している。

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建物の被害は震災前の校舎は10棟33教室あったが、震災後は、入出路に問題はないものの、倒壊または安全性に不安のある校舎は7棟22教室にも及んだ。
私たち(Jyotiさん率いる復興プロジェクトメンバー)は、スクールプログラムのサポートとして、今週からマンダリハイスクールの新しい建築用ブロックの積み上げ作業に着手している。現在手掛けているところは、二つの教室と、その上層階の図書室になる予定だ。
このプロジェクトの総費用は、約6百70万円(15,12月現在で)ほどになる見込みである。同様に、小さい年齢の子ども向けのクラス:スンダリプライマリースクールも建築中である。こちらの小学校の費用合計は約200万円近くを予定している。
記事原文:Phulkhalka EQ Support 2015年12月9日

ジョティさん率いる復興メンバーの皆様が無事に工事を終えられること、一日も早い復興を祈ります(s)

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ECHOによるヘルスキャンプ

 

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無料の健康診断を行ったECHOのメンバーと病院関係の協力者のみなさん。

サティの現地活動の実行部隊の一つであるECHO はカトマンズに隣接する都市ラリトプール(パタン)※1で保健衛生教育を実施する私学校です。サティとは10年以上にわたり、学校保健教育とフリーのヘルスキャンプを共同で行ってきました。
先般の地震でラリトプールも大きな被害をうけ、一時はECHOの家族も約50人の学生もテント生活を強いられましたが、それにもめげず学校関係者と病院関係者が協力し合い、特に地震被害の大きかった地域を中心に、活動を継続しています。
ここに紹介するのはカトマンズから約100km西に位置するダーディン郡バイレニ地区で、8月22日にECHOのメンバーがフリーのヘルスキャンプを実施した記録です。

 

一般の健康診断と婦人科(子宮関連の細胞診)検査

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全体の検診数は191人。そのうち75人の女性には子宮癌の有無を調べる婦人科検査を行った。大半の女性は子宮感染症にかかっており、また子宮脱※1にかかっている患者も多い。これは出産後すぐに重労働を強いられるためと考えられる。とりあえず抗生物質を投与し、清潔にすることと栄養状態の改善を助言した。検査サンプルの生検はラリトプールの大病院で行い、子宮癌の可能性があるかどうかの結論を待つことととした。

116名の一般検診では呼吸器系の感染/COPD※2/皮膚病など種々の病気が見つかっており、後日必要な薬品投与を行う。』 (SK)


 

※1 ラリトプール(郡庁所在地:パタン): カトマンズ盆地南西部に位置し、ネパール第3の都市であり古都でもある。ネパールの75の郡の1つ。
※2 子宮脱: https://ja.wikipedia.org/wiki/子宮脱
※3 COPD: https://ja.wikipedia.org/wiki/慢性閉塞性肺疾患

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検査キットを持ち、徒歩で村に入る

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After School

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前述の記事でお知らせしたとおり、皆さんの支援によってゴルドゥンガ村に建てたアースバッグハウスの地震記念館は6月5日の環境記念日に完成式典が執り行われ、多くの人たちから文房具や本が贈られた。
http://sathi.sakura.ne.jp/blog/?p=204
今は学校の授業が終了後、テント住まいでは十分なスペースがとれない10歳以下の子供たち(約30人)が集まって、学校の勉強やその他の活動を行える子供達の城として活用されている。
村を見渡せる丘に建つ地震記念館。庭にベンチやテーブるが置かれている

村を見渡せる丘に建つ地震記念館。庭にベンチやテーブルが置かれている

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室内には文房具や本、ノートPCが揃っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日、全国観光産業振興委員会の震災後初会議が観光産業大臣を議長として開催され、 ホテル、リゾート、道路またトレッキングを含む観光客が訪れる主要な地域については危険はないことが、それぞれの担当委員より報告された。個別のより詳細な報告書は今月末をめどに出される予定。

また我々の尊敬するハリハール教師も昨日、地震記念館を訪問、子供達がそのスペースを有効に使い、今は研修センターとして利用されていることに感銘を受けておられた。この施設建設に関与された皆さんに感謝申し上げます。モンスーン明けには、新しい幾つかのプロジェクトを検討しており、これまで援助していただいた資金のうち、約半分は手元に残してあるのでこれを活用していくつもりです。

モンスーンに備えて 3

6月15日の記事より
モンスーン時期到来に備えて、学校の教室用にインドから運ばれてきた65セットの大型テントを使っての、設営チームが一旦仕事を終え、カトマンズに戻った。ダーディン郡北部、特にフルカルカVDC, グムディVDCとサティデヴィ校は地震による大きな被害を受けた。我々チームはそれぞれの村人と共同で、テントと地場での建築資材を用いて仮の教室を作ることができた。
村の再建と学校教室の設営のために協力していただいた人たちに、改めてお礼申し上げます。
さらに2週間後(6月末ごろ)には、カトマンズから再度チームを派遣し、約10戸の耐震性に優れた建物を現地の資材を使って建てる計画です。これらの建物は特に家を失った老人たち、孤児、そして幼児などデイケアの必要なグループ(Sewalayaグループ)を対象とし、それぞれの場所と目的に相応しい建物にするつもりです。またこのプロジェクトでは近隣の村から人を募り、彼らの自らの手で、地場の材料を使って耐震性建物の建設が可能となるように技術指導を合わせて行っていく。
それにより、長期で村人に最も役立つ好循環のサイクルが得られると信じている。

 

記事原文:Phulkhrlka EQ Support Fund(6月15日)

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ホテルホーリーヒマラヤのマネージャーで、今回の設営チームのリーダでもある、リプー(右から5人目)

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アイデアと知識があれば、建築資材の輸送が困難な山間部でも 身近な素材を使って家を建てることができる。

ネパール全景

6月9日、ヘリコプターからの眺め

6月9日、ヘリコプターからの眺め(カトマンズ付近)

6月9日のフェイスブック記事より〜

6月9日、フルカルカ村からヘリコプターでカトマンズへ戻ってきた。ゆっくりではあるが、村は自給の為の農業生産を回復しようとしている。村の上部、山の方はまだまだ時間を要するが…。
山間部の多くの村ではトタン板やテント・カバ-を用いて、とりあえずの小屋をつくっている。学校も、臨時の建屋を作って授業を再開した。
今日で、モンス-ン前の救援第一段階はほぼ終了した。550のテント、65の学校用大型テント、54の先生用の小型テント、米500袋が提供済となった。リプー(我々のスタッフ)たちが率いる救援チ-ムは、まだ村に残り、テントを届けたり、学校の復旧、臨時教室の建設を手伝だっている。(これらの救援は11,000ドルかけて慎重に行った)
フルカルカには、倒壊しなかった建物が2戸ある。そのひとつが昨年、70,000ユーロ(¥9,800,000)かけて建設したフルカルカの「農業技術教育館」だ。今年の4月20日に正式にオープンしたばかりで、小さな建物ながら、中にはコンピューター、顕微鏡などをはじめとする器具が揃っている。この建物は山の斜面に足場を組んで建てられているのだが、それが地震に耐えられたということは、驚くべきことである。しっかりとしたものを作れば災害を防ぐことができる好例になった。
一方、町や路傍の近代的な建物は全壊という訳では無かったようだ。住まうのには問題なさそうな家も数多く点在する。
村々の家はほとんど崩壊してしまったが、時間をかければ、かならずいつか、自力で再建できる。今一番必要とされているのが、ソフトの援助、すなわち「技術や修練、アイデイア、サンプルの提供」だ。
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市街地の近代的な建物

臨時の建屋で授業を再開したフルカルカ村

臨時の建屋で授業を再開したフルカルカ村

フルカルカ村に昨年開校した農業技術教育館。

フルカルカ村に昨年開校した農業技術教育館