フルカルカ

2016年 ネパール訪問ビデオ

こんにちは。
ブログ担当のmayukoです。

2016年11月17日から23日のネパール訪問の際のビデオを作りました。
是非ご覧くださいませ。

フルカルカ 学校再建築スタート

(2015.12.9のPhulkhalka EQ Support 記事より)

mh1フルカルカ村の学校再建築がいよいよスタートした。ここマンダリハイスクールは、ダーディン群北部のなかでも60年ほどの歴史があり、ネパールの中でも数少ない農業技術専門の学校のひとつでもある。
総学生数は700人。そのうち技術クラスの学生は4クラスほどあり、192人の学生が農業の専門的な技術を学んでいる。この他初等クラスがあるほか、特別支援学級も2クラス設置されており、教師は24人在籍している。

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建物の被害は震災前の校舎は10棟33教室あったが、震災後は、入出路に問題はないものの、倒壊または安全性に不安のある校舎は7棟22教室にも及んだ。
私たち(Jyotiさん率いる復興プロジェクトメンバー)は、スクールプログラムのサポートとして、今週からマンダリハイスクールの新しい建築用ブロックの積み上げ作業に着手している。現在手掛けているところは、二つの教室と、その上層階の図書室になる予定だ。
このプロジェクトの総費用は、約6百70万円(15,12月現在で)ほどになる見込みである。同様に、小さい年齢の子ども向けのクラス:スンダリプライマリースクールも建築中である。こちらの小学校の費用合計は約200万円近くを予定している。
記事原文:Phulkhalka EQ Support 2015年12月9日

ジョティさん率いる復興メンバーの皆様が無事に工事を終えられること、一日も早い復興を祈ります(s)

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モンスーンに備えて 3

6月15日の記事より
モンスーン時期到来に備えて、学校の教室用にインドから運ばれてきた65セットの大型テントを使っての、設営チームが一旦仕事を終え、カトマンズに戻った。ダーディン郡北部、特にフルカルカVDC, グムディVDCとサティデヴィ校は地震による大きな被害を受けた。我々チームはそれぞれの村人と共同で、テントと地場での建築資材を用いて仮の教室を作ることができた。
村の再建と学校教室の設営のために協力していただいた人たちに、改めてお礼申し上げます。
さらに2週間後(6月末ごろ)には、カトマンズから再度チームを派遣し、約10戸の耐震性に優れた建物を現地の資材を使って建てる計画です。これらの建物は特に家を失った老人たち、孤児、そして幼児などデイケアの必要なグループ(Sewalayaグループ)を対象とし、それぞれの場所と目的に相応しい建物にするつもりです。またこのプロジェクトでは近隣の村から人を募り、彼らの自らの手で、地場の材料を使って耐震性建物の建設が可能となるように技術指導を合わせて行っていく。
それにより、長期で村人に最も役立つ好循環のサイクルが得られると信じている。

 

記事原文:Phulkhrlka EQ Support Fund(6月15日)

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ホテルホーリーヒマラヤのマネージャーで、今回の設営チームのリーダでもある、リプー(右から5人目)

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アイデアと知識があれば、建築資材の輸送が困難な山間部でも 身近な素材を使って家を建てることができる。

ネパール全景

6月9日、ヘリコプターからの眺め

6月9日、ヘリコプターからの眺め(カトマンズ付近)

6月9日のフェイスブック記事より〜

6月9日、フルカルカ村からヘリコプターでカトマンズへ戻ってきた。ゆっくりではあるが、村は自給の為の農業生産を回復しようとしている。村の上部、山の方はまだまだ時間を要するが…。
山間部の多くの村ではトタン板やテント・カバ-を用いて、とりあえずの小屋をつくっている。学校も、臨時の建屋を作って授業を再開した。
今日で、モンス-ン前の救援第一段階はほぼ終了した。550のテント、65の学校用大型テント、54の先生用の小型テント、米500袋が提供済となった。リプー(我々のスタッフ)たちが率いる救援チ-ムは、まだ村に残り、テントを届けたり、学校の復旧、臨時教室の建設を手伝だっている。(これらの救援は11,000ドルかけて慎重に行った)
フルカルカには、倒壊しなかった建物が2戸ある。そのひとつが昨年、70,000ユーロ(¥9,800,000)かけて建設したフルカルカの「農業技術教育館」だ。今年の4月20日に正式にオープンしたばかりで、小さな建物ながら、中にはコンピューター、顕微鏡などをはじめとする器具が揃っている。この建物は山の斜面に足場を組んで建てられているのだが、それが地震に耐えられたということは、驚くべきことである。しっかりとしたものを作れば災害を防ぐことができる好例になった。
一方、町や路傍の近代的な建物は全壊という訳では無かったようだ。住まうのには問題なさそうな家も数多く点在する。
村々の家はほとんど崩壊してしまったが、時間をかければ、かならずいつか、自力で再建できる。今一番必要とされているのが、ソフトの援助、すなわち「技術や修練、アイデイア、サンプルの提供」だ。
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市街地の近代的な建物

臨時の建屋で授業を再開したフルカルカ村

臨時の建屋で授業を再開したフルカルカ村

フルカルカ村に昨年開校した農業技術教育館。

フルカルカ村に昨年開校した農業技術教育館

 

地震5日前のフルカルカ再訪

2014年よりスタートした農業技術推進プロジェクトの視察を主目的としての再訪。6年前に王制から共和制に移行し、最初の国政選挙で勝利したマオイスト党のプラチャンダ元首相も出席。いつものように踊りで歓迎された。
しかしその5日後にはこの会場となったセカンダリースクールの主要な建物は30秒間で瓦礫の山と化した。写真は4月20日に撮影(SK)
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そのとき、フルカルカは・・・


4月25日11時56分、数十万戸のうち数千戸にも及ぶ家屋が潰えてしまった。私の家もフルカルカ村も無くなったのだ。子どもの頃はまるで共同体で暮らしているようだった。食事も60人くらいで一緒にするのが日常で、近所には、仲間と遊び疲れた私たちの寝泊りの場所になる家が10数軒もあった。穀物貯蔵所、料理場所、訪問客用の家、それに100匹近くいた家畜用の小屋もあった(牛、水牛、山羊、羊、そのほか沢山いたのに・・・全部死んでしまった・・・一瞬のうちに)。残っているのは思い出だけ・・・

記事原文:phulkhrka_EQ Support Fund(5月10日)

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瓦礫に埋もれてしまった牛たちが痛々しい。

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2軒を残して全ての家屋が崩壊した

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雨風に耐えながらも、生きるために生活を続けなければいけない。心休まらぬ夜はいつまでつづくのだろう。。

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地震発生時刻が昼前だったので多くの村人は農作業で屋外にいた。お年寄りと小さな子どもを除いては。。。

 

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避難用の一時的なシェルターをつくっているところ。 この場所は学校の前の広場で、子供達のサッカー場であり、大きな集会場でもあり、またヘリコプターの発着場でもある

避難用の一時的なシェルターをつくっているところ(フルカルカ村)。この場所は、学校の前の広場で子供達のサッカー場であり、大きな集会場でもあり、またヘリコプターの発着場でもある。

6月1日、揺れは少なくはなったがまだ続いている。海外から観光で訪れる人も、ほんのわずかだが増えてきたようだ。
比較的低い位置にある二つの村(フルカルカとグミッド)では、もうすぐ始まるモンスーンに対応して、簡易テントの設置が急がれる。モンスーン期は6月から9月中旬まで雨が多く、フルカルカ村への道が流されてしまう。次に道路が再開するのは、雨期があけてから、道路の修復が終わる11月ごろになってしまうので、大きな荷物の輸送が急務だ。
インドに注文した65セットの大型テントは先週金曜日に国境で受け取る予定になっており、Eco Trekのスタッフが待機していたが受け渡しが遅れている。この後順調に村まで移送できれば、今週末には学校の教室用としても設置できるだろう。我々のチームから土壌検査を含め、技術面でのチェックを目的に派遣していた技術者が戻り、彼らの報告をもとに、より長期的な観点からの再建計画を地方政府と中央政府に提出する。資金援助については日本から3回目の送金を受領した。またオーストリアの友人からも同様に援助基金の提供を受けた。

一方、より高地にある村については、いまだ政府による将来の方策についての決定待ちとなっている。彼らはもともと小さな集落が多くあり、この地震で全てを失ったため、移住するにしろ地代がゼロの国立公園など政府が管理する場所でなくては生活できない。

世界環境日の6月5日には、ゴルドウンガに完成したモデルハウスをオープンし、地元の人々、特に子供達に利用してもらう。一年間の教育期間で教師の必要経費も我々で負担する。

記事原文:Phulkhrlka EQ Support Fund(6月1日)
記事原文:Phulkhrlka EQ Support Fund(5月23日)