そのとき、フルカルカは・・・


4月25日11時56分、数十万戸のうち数千戸にも及ぶ家屋が潰えてしまった。私の家もフルカルカ村も無くなったのだ。子どもの頃はまるで共同体で暮らしているようだった。食事も60人くらいで一緒にするのが日常で、近所には、仲間と遊び疲れた私たちの寝泊りの場所になる家が10数軒もあった。穀物貯蔵所、料理場所、訪問客用の家、それに100匹近くいた家畜用の小屋もあった(牛、水牛、山羊、羊、そのほか沢山いたのに・・・全部死んでしまった・・・一瞬のうちに)。残っているのは思い出だけ・・・

記事原文:phulkhrka_EQ Support Fund(5月10日)

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瓦礫に埋もれてしまった牛たちが痛々しい。

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2軒を残して全ての家屋が崩壊した

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雨風に耐えながらも、生きるために生活を続けなければいけない。心休まらぬ夜はいつまでつづくのだろう。。

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地震発生時刻が昼前だったので多くの村人は農作業で屋外にいた。お年寄りと小さな子どもを除いては。。。

 

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