震災7ヵ月レポート

(2015.11.27のPhulkhalka EQ Support記事より)

1127_1学校再建プロジェクトで村に行っていた我々のチームメンバーが戻ってきた。このプロジェクトはスタートしているが、ほとんどの作業が手作業であることと、燃料の供給が不足がちで輸送に悪影響を及ぼしているため遅れているが、少しずつ軌道に乗ってくるだろう。
ここで4月26日の大震災以降の村の生活の変化について見てきたこと、感じたことを以下に記しておく。

『亡くなられた方、村を去っていった方々もいるが、多くは村に残り家を再建中。しかし状況はより複雑になりつつある。高齢の村人は人生のほとんどを過ごした愛する家や場所を離れたがらない。しかし彼らが長い間守ってきた先祖の思い出の品々はほとんど失われ、残っているのは思い出だけ。一方、若い人たちはより良い医療、教育の質、また就業機会の高い都市への移住することに以前よりも関心が深まっている。残念な事に村には住む人のいない空き家を多く見かける』

『6歳以上の子供たちも、自給自足の農家の作業を手伝うために学校に行きたくても、家の仕事を優先せざるをえないことが多い。学校の教師たちは子供たちが家の仕事を手伝ってもどれだけの助けになるのか疑問だと言っている。学校教育もより集約して行うことが必要だが、住居地がバラバラな山岳地帯の現状では難しい』

1127_8『村の生活を維持し発展させていくには、より優れた商業的農業の導入を図らねばならない。現在のような自給自足型の農業生産では穀類、野菜、家畜がそれぞれに適地生産の管理ができず、生産高をあげることが難しい。我々のような丘陵地帯での農業生産では若い世代の拡大していく需要を満たすことができない。残念な事に我々の政治家たちは、単に短期的な視点で票の獲得を目的とした政策しかやってこなかった。多くのプロジェクトは結果がゼロにもかかわらず、資金がつぎ込まれている。多くの内外のNGOにも同じことが言える。この国にとって喫緊の課題は安定した共同社会と質の高い生産手段だ。居住区の設定とそれぞれの社会的交流を促す仕組み作りは高い必要性があると思う。例えば、バイクの利用しやすい道路の整備とバイクを利用する若者たちの消費市場に対する夢は、たくさんの小さな村を作る必要性がなくなる。これは長期的には家族の分散、教育(学校)の利便性、医療関連ポストの統一、市場との容易な連携、等あらゆる面で現在よりも無駄の少ない、可能性の大きな社会に繋がるのではないだろうか』

ジョティアディカリ チームリーダー

記事原文:Phulkhalka EQ Support Fund(2015年11月27日)

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